「錆びた館」
http://kakudou.moto-chika.com
の日替わり日記部分のみの分館
2019/01/11 (Fri)
やっとみてきました、ライダー映画。
ビルドとジオウの設定を把握しきってないかもー、
してても結構難しいのではないかというか、
歴史改変とか世界線とかメタフィクションとか要素ごちゃまぜなんですが、
要はクウガ以降の平成ライダーがいかに共演しうるかというお膳立てなので
理解できてなくてもひょっとしたら筋が通ってなくても気にしないです。
肝心なのは歴代ライダーがいかに登場し、活躍するか。
そこは大変素晴らしく出来てるのです。
正直泣きそうになりましたよ。
全員じゃないけど、ちゃんとオリジナルキャストの声ででてくるし。
ジオウの設定と言うか特徴がそうなんだけど、
ここでも時間を行き来するのがメインプロットに関わるので、
一番いいところで登場するのが同じく能力の電王というのも納得の行くところ、
おいしすぎるくらい。
音楽も川井憲次さん佐橋俊彦さんでなんと贅沢な。
それぞれのライダーに思い入れのある方々にも喜んでもらってるんじゃないでしょうか。
過去作品にちゃんとリスペクトあるのはみてて気持ちいいですね。
ゲストの声の出演、滝藤賢一さんがものすげーはまり役なのもいい。
『記憶されている限り物語は生き続ける』という命題についてはまた別に考えてみたいと思います。
ビルドとジオウの設定を把握しきってないかもー、
してても結構難しいのではないかというか、
歴史改変とか世界線とかメタフィクションとか要素ごちゃまぜなんですが、
要はクウガ以降の平成ライダーがいかに共演しうるかというお膳立てなので
理解できてなくてもひょっとしたら筋が通ってなくても気にしないです。
肝心なのは歴代ライダーがいかに登場し、活躍するか。
そこは大変素晴らしく出来てるのです。
正直泣きそうになりましたよ。
全員じゃないけど、ちゃんとオリジナルキャストの声ででてくるし。
ジオウの設定と言うか特徴がそうなんだけど、
ここでも時間を行き来するのがメインプロットに関わるので、
一番いいところで登場するのが同じく能力の電王というのも納得の行くところ、
おいしすぎるくらい。
音楽も川井憲次さん佐橋俊彦さんでなんと贅沢な。
それぞれのライダーに思い入れのある方々にも喜んでもらってるんじゃないでしょうか。
過去作品にちゃんとリスペクトあるのはみてて気持ちいいですね。
ゲストの声の出演、滝藤賢一さんがものすげーはまり役なのもいい。
『記憶されている限り物語は生き続ける』という命題についてはまた別に考えてみたいと思います。
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2018/12/12 (Wed)
映画としては前半から中盤にかけて、第一部の主人公っぽいイクメンパパのくだりがちょっと長い。監督お得意のスタイリッシュ映像で数々の場面を渡っていくのですが、それぞれの場面でちょっと飽きが来たところでコワいものが差し込まれる、という塩梅はわかるにしても、そこまでもってないんじゃないかな。と思うのはこちらがホラーを期待してるからなんでしょうか。とばかりは思えない。
先に見た人たちから「面白かった」「怖かった」「が、ホラー映画じゃない」という声をいくつも目にしました。
言うまでもなく原作『ぼぎわんが来る』はれっきとしたホラー小説。映画でも細かい差はあるものの大筋は原作に沿ってます。なのになぜホラー映画ではないという感想が出てくるのか。
ホラー的な場面はちゃんとあります。演出力不足で怖くならない、ということはこの監督にはありえない。好みはあるでしょうが間違いなく高いレベルの映像を作り出す人なのです。
人物ドラマが弱いということもない。出演者もどの役にもピッタリはまった人たち。ポスターに写る主演の五人だけでなく、柴田理恵の霊能者や伊集院光のスーパー店長などまで。
ではなぜこの映画がホラー映画ではないと思われてしまうのでしょうか。
一つには、ホラー的な事象を扱いながら、「怖がらせるための演出」をほぼしていないから、ではないかと思います。いくつかの事象はそれこそホラー映画のようにドッキリするタイミングで起きるのですが、そこにあるのはビジュアルとしてのショックで、それによって見る人を怖がらせるためではないように思われるのです。
ほかの場面にある不安や緊張感も「ホラー映画的な」空気とは違うように見えます。
細々と考察していくと長くなりそうなので、適当に切り上げますが、ここで問題に思うのは「ホラー映画的な作り方をしていない」から「ホラー映画ではない」のか、ということ。
小説におけるホラーは、近年怪談との比較もあって「非日常的な事象が起き、読む人を怖がらせるために書かれたもの」というのが一般的な定義となってきているようです。(怪談は必ずしも人を怖がらせるためではない、人を怖がらせるために書かれたものでも非日常的な要素がなければホラーと言うよりサスペンス、ということからの対比)
では。ホラー映画とは何なのか。それは必ずしも人を怖がらせるためでなくてもよいのではないでしょうか。
さっきたまたまCSで『高慢と偏見とゾンビ』放映されてて、あれなどはあきらかにホラーでしかなしえない世界を描いているにもかかわらず、怖がらせるために作られた映画ではないように感じます。しかし『ホラー映画』であることは間違いないのではないでしょうか。
特に論旨を一貫させることもなく唐突に自分のことになりますが、じゃあ自分はなにを作りたいかと言うと、『怖い』『ホラーまたは怪奇映画』ではないか、とは思います。
もう一つ蛇足的に付け加えさせてもらうと、『来る』鑑賞中、これに一番近い映画は中川信夫『地獄』ではないかと思ったのでした。どこが、というのを説明するとまた長くなるので省きますが、あの映画の直系の子孫はなかなか見ない気がする、というのがこの映画で解消されたのでした。
映画としては前半から中盤にかけて、第一部の主人公っぽいイクメンパパのくだりがちょっと長い。監督お得意のスタイリッシュ映像で数々の場面を渡っていくのですが、それぞれの場面でちょっと飽きが来たところでコワいものが差し込まれる、という塩梅はわかるにしても、そこまでもってないんじゃないかな。と思うのはこちらがホラーを期待してるからなんでしょうか。とばかりは思えない。
先に見た人たちから「面白かった」「怖かった」「が、ホラー映画じゃない」という声をいくつも目にしました。
言うまでもなく原作『ぼぎわんが来る』はれっきとしたホラー小説。映画でも細かい差はあるものの大筋は原作に沿ってます。なのになぜホラー映画ではないという感想が出てくるのか。
ホラー的な場面はちゃんとあります。演出力不足で怖くならない、ということはこの監督にはありえない。好みはあるでしょうが間違いなく高いレベルの映像を作り出す人なのです。
人物ドラマが弱いということもない。出演者もどの役にもピッタリはまった人たち。ポスターに写る主演の五人だけでなく、柴田理恵の霊能者や伊集院光のスーパー店長などまで。
ではなぜこの映画がホラー映画ではないと思われてしまうのでしょうか。
一つには、ホラー的な事象を扱いながら、「怖がらせるための演出」をほぼしていないから、ではないかと思います。いくつかの事象はそれこそホラー映画のようにドッキリするタイミングで起きるのですが、そこにあるのはビジュアルとしてのショックで、それによって見る人を怖がらせるためではないように思われるのです。
ほかの場面にある不安や緊張感も「ホラー映画的な」空気とは違うように見えます。
細々と考察していくと長くなりそうなので、適当に切り上げますが、ここで問題に思うのは「ホラー映画的な作り方をしていない」から「ホラー映画ではない」のか、ということ。
小説におけるホラーは、近年怪談との比較もあって「非日常的な事象が起き、読む人を怖がらせるために書かれたもの」というのが一般的な定義となってきているようです。(怪談は必ずしも人を怖がらせるためではない、人を怖がらせるために書かれたものでも非日常的な要素がなければホラーと言うよりサスペンス、ということからの対比)
では。ホラー映画とは何なのか。それは必ずしも人を怖がらせるためでなくてもよいのではないでしょうか。
さっきたまたまCSで『高慢と偏見とゾンビ』放映されてて、あれなどはあきらかにホラーでしかなしえない世界を描いているにもかかわらず、怖がらせるために作られた映画ではないように感じます。しかし『ホラー映画』であることは間違いないのではないでしょうか。
特に論旨を一貫させることもなく唐突に自分のことになりますが、じゃあ自分はなにを作りたいかと言うと、『怖い』『ホラーまたは怪奇映画』ではないか、とは思います。
もう一つ蛇足的に付け加えさせてもらうと、『来る』鑑賞中、これに一番近い映画は中川信夫『地獄』ではないかと思ったのでした。どこが、というのを説明するとまた長くなるので省きますが、あの映画の直系の子孫はなかなか見ない気がする、というのがこの映画で解消されたのでした。
2018/12/07 (Fri)
前評判の良かったような映画を二本見てきました。1つ目がこの『へレディタリー』
ええとまあ結論から言うとそんなに新味も感じなかったし、あまり怖くもならなかった、かな。これは演出が好みかそうじゃないかによるとこ大きいと思いますが。今作はあまり趣味が会わない方向かと。
ホラー映画かと思ったらオカルト映画でした、とツイッターにも書いたので、内容的に付け加えることもないかな。
一部で評判になった、本物の幽霊が写ってるのでは、と言われた場面。偶然ではなく、やらせとか仕込みとかでもなく、ちゃんとした演出で入ってるものでした。
以下ネタバレ
幽霊のように見えたのは、その後の場面で出てくる白っぽい貫頭衣を着た人間が四つん這いのような姿勢でさああと通り過ぎる、ただし実像でなくイメージ的なものですね。演出である証拠はその人物が行った先に扉のような明かりが灯り、人物には気が付かなった少年がその光にはなにか気がついて目線向けます。
と、いうようなことで。
ええとまあ結論から言うとそんなに新味も感じなかったし、あまり怖くもならなかった、かな。これは演出が好みかそうじゃないかによるとこ大きいと思いますが。今作はあまり趣味が会わない方向かと。
ホラー映画かと思ったらオカルト映画でした、とツイッターにも書いたので、内容的に付け加えることもないかな。
一部で評判になった、本物の幽霊が写ってるのでは、と言われた場面。偶然ではなく、やらせとか仕込みとかでもなく、ちゃんとした演出で入ってるものでした。
以下ネタバレ
幽霊のように見えたのは、その後の場面で出てくる白っぽい貫頭衣を着た人間が四つん這いのような姿勢でさああと通り過ぎる、ただし実像でなくイメージ的なものですね。演出である証拠はその人物が行った先に扉のような明かりが灯り、人物には気が付かなった少年がその光にはなにか気がついて目線向けます。
と、いうようなことで。
2018/11/30 (Fri)
言うまでもなくクイーンの、フレディ・マーキュリーの伝記映画。バンドの成り立ちからライブエイドまで。
バンドの始まりがちょうど自分が中高生のころなので、よく耳にしていたものの、それほど音楽ファンというわけでもないのでアルバムを買ったりはしないままだったのですが、映画を見、というより聞くと当時のことがいろいろと思い出されるし、その頃この人達はこうだったのかとかも。
にしても。
それにしてもその再現度すごい。メンバーも当時のツアー、ライブの感じも。
映画のタイトルにもなってる「ボヘミアン・ラプソディ」その録音状況の映像化なんて、そこだけでもどうするだろうと何万回でもシミュレーションしそうなことがなるほどこうしたのかあとか。こいういう撮影、編集、楽しかったろうなあ。
最後のクライマックス、ライブエイドでのシーンになるとステージの再現に全力投球で、ある意味映画であることを投げ捨ててますが、まあしょうがない。
お昼すぎの回に行ったら結構年齢層高い人達でした。自分ら含めね。近年は楽曲が教科書にも乗ってるらしいので若い人たちにも知られてて好評な様子。
言うまでもなくクイーンの、フレディ・マーキュリーの伝記映画。バンドの成り立ちからライブエイドまで。
バンドの始まりがちょうど自分が中高生のころなので、よく耳にしていたものの、それほど音楽ファンというわけでもないのでアルバムを買ったりはしないままだったのですが、映画を見、というより聞くと当時のことがいろいろと思い出されるし、その頃この人達はこうだったのかとかも。
にしても。
それにしてもその再現度すごい。メンバーも当時のツアー、ライブの感じも。
映画のタイトルにもなってる「ボヘミアン・ラプソディ」その録音状況の映像化なんて、そこだけでもどうするだろうと何万回でもシミュレーションしそうなことがなるほどこうしたのかあとか。こいういう撮影、編集、楽しかったろうなあ。
最後のクライマックス、ライブエイドでのシーンになるとステージの再現に全力投球で、ある意味映画であることを投げ捨ててますが、まあしょうがない。
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