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「錆びた館」 http://kakudou.moto-chika.com の日替わり日記部分のみの分館
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2018/04/27 (Fri)
ふたりともとても可愛く出来てるのに、顔見合わせたポーズなので一同に両方の顔が見えるアングルがむつかしい。

ところでこのシリーズに付属してる台座で多分ほぼこれだけが人間キャラを名前だけでなく名字も記載してるんですが、Tachikawa Mimiと日本語読みと同じ語順なんですね。一般的にも変に英語の語順に合わせないでこうあるべきと思います。


あとでミミについて思い出したこと連続ツイートしたので追加

ミミは一見アニメにありがちなワガママノーテンキな性格のようだけど、むしろアニメ的でなく最も一般的なごく普通の生身の女の子、というつもりだった。サラリーマンでなく割と自由な両親の元でやや甘やかされて育ってる傾向はあるけれども。
その普通の子がデジタルワールドという異常事態に置かれた時、どう混乱し悩み対処していくか。それはアニメの画面を超えて見ている子どもたちと共有していってもらえれば、という願いを最も込めたキャラクターであったはずだ。だからこそ最終回の最後の別れはミミだった。
その普通の子が非日常的な苦難を乗り越えた後に手に入れた強さ、たくましさのようなものを02では出していったつもりだったが、後で見てみるとデジタルワールドの冒険のあとにさらに9.11にまで遭遇していたゆえのさらなる明るさにも見えなくはないと思う。
もちろんそんな大事件に遭遇してなくとも現地のパートナーデジモンを持つ子供たちと知り合え友だちにすぐになれたに違いない。ミミはそういう子のはずだ。
ドラマCDで一言も9.11とは言ってないが当時なら誰もがすぐにわかったことで、前田愛さんはそのことを踏まえ想いを込めた演技にしてくださった。
このドラマCDミミのエピソードには元ネタがある。アメリカで発行されたコミックで、たしかマーベルの超人たちが破壊されたニューヨークで懸命に救助を行うものだった。まだ今のような一般向けの大ヒットするマーベル映画が作られる前で、コミックの地位は一層子供向けに近いと思われてた頃だ。
現実の災厄に遭遇した時、非現実な力を持つものはどうしたらいいのか。実際にできることは少なくとも何かをしなければという気持ちはより強く思うのではないだろうか。あの事件はアニメで非現実なことを扱う自分たちにも何かを突きつけられてる気がした。
あまり強い覚悟のものも作れないところで、せめてもの気持ちの表明がドラマCDのミミだった。
そしてその後、ここ7年の間ずっと考えてるのは、デジタルワールドも9.11も経験したミミは2011年に何を考えどう行動しただろうか、だ。まだ明確な答えは出てない。彼女自身は迷う前に動いてるだろうけども。
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