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「錆びた館」 http://kakudou.moto-chika.com の日替わり日記部分のみの分館
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2024/04/25 (Thu)
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2018/08/05 (Sun)
4月に急逝した高校の文芸部の後輩でゲームデザイナーの柴尾英令。「お別れ会」では寂しいので、と旅立ちを見送る会として催されました。

「レナス 古代機械の記憶」「レナスⅡ 封印の使徒」この2つはノベライズまで
「レガイア伝説」スタッフとして入ってた「桃太郎伝説」シリーズ
映画「弟切草」脚本協力
共著「スター・ウォーズ学」
近著「シネコン映画至上主義」
ゲーム業界のみならずワセダミステリクラブ時代からの人とか近年のゴールデン街などで出会った人とか多士済々。献杯は好きだったテキーラで。

会の終わりには特製動画で、児嶋都さんによるハン・ソロに見立てた絵で〆。

そりゃ早すぎるけど、海外にもよく行ってたし、全体にやりたいことをたくさんやった、いい人生だったんじゃないかな。
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2018/06/12 (Tue)


ジブリ主催でのお別れの会からしばらくあと、アニドウ主催による偲ぶ会にも行ってきました。
生前の映像それも海外での珍しいものや『狼少年ケン』などの上映、ゆかりの作品の楽曲のコンサートに関係者のトークなど盛りだくさん。平日にもかかわらず満席の会場で四時間があっという間でした。

昨日の続き。
高畑さんと最初にお会いしてから、日本アニメーション協会の集まりなどで遠目にお見かけすることはあっても、直接お話する機会はとうとうありませんでした。
最後にお姿を見たのは2016年10月のユーリ・ノルシュテインさんの歓迎会の場で。

どこかの美術館での鳥獣戯画展の図録をプレゼントとして持ってこられ、熱く語ってられました。
翌日から一緒に京都の方へ出かけられると聞いてたので何十人もいるその場でなくあとでゆっくりと話も出来たでしょうに、そんなことは関係ないという熱意に溢れてて、とてもそれから二年も立たないうちにお亡くなりになるとは、今も信じられません。


2018/06/11 (Mon)


全くの平日昼間でしたがちょうど仕事の都合がついたので高畑勲さんのお別れの会へ行ってきてました。ジブリ美術館入口前の広場にいくつも待機列用テントが建てられ、生前の姿を伝える映像が流される中、大体50人ずつくらいかな、区切られて建物内へ案内され順に献花。
会の始まりからすこし時間空いたとこで行ったのでスムーズに入れましたが、始まりの頃や全体ではかなりの人がいらしてたのではないでしょうか。

東映動画(現・東映アニメーション)で仕事し始めたころはまだ『太陽の王子ホルスの冒険』スタッフだった人たちもいらしてて、高畑さんに関する話もいくつか聞かされたものでした。そのように話を聞くことになる監督、演出さんはほかにあまりなかったです。
なんの作品だったか聞きそびれたものの、テレビ作品を試写室で見ていたスタッフが忍び笑いを漏らし始め、それが次第に大きくなり、全員大笑いで終わった時があり、前にもあとにもあんなことははじめてだった、とか。たぶん『狼少年ケン』か『もーれつア太郎』なんでしょうが、今だってそんな初号試写は見たことがありません。
数年して芹川有吾さんの演出助手についたときには『わんぱく王子の大蛇退治』で演出助手についてた頃の高畑さんのことを聞くことがありました。当時の(ほんとは今も)演出助手は実写で言う特撮監督のような面も持ち合わせており、監督の意図を理解してどのような画面処理をするかを考案、実施するのも業務だったのです。
ツクヨミの場面での氷、つららのようなそれの質感をどう出すか、で、あるカットではある面を塗り、他の面をトレス線のみにしたかと思うと他のカットではブラシを使い、処理が統一してないのだがと問い合わせがあったが、高畑さんは大丈夫だと言い、実際つながったラッシュを見るとかえってそれでスムーズな流れになってたとか。
雪の結晶が多重露光で幾重にも重ねて見える場面では高畑さんの指示の多重さがあまりに多すぎて撮影からクレーム入り、やむを得ず途中でやめてもらったとか。
そのすこしあと、たぶん『セロ弾きのゴーシュ』の上映絡みでなみきたかしさんと高畑さんとで池袋の喫茶店で初めておジャなしする機会に恵まれたので芹川さんの助手についてますと自己紹介すると、じゃあ兄弟弟子ですね、と言われまして。まったく恐れ多い話ですが同席したなみきさんには羨ましがられたものでした。

2018/01/14 (Sun)
昨年末急逝された鶴ひろみさんをお送りする会に行ってきました。

まだ演出なりたての頃に『まじかる☆タルるートくん』でご一緒してしばらく間が空き、『聖闘士星矢Ω』で久しぶりにお仕事したのが五年前。最近の『ドラゴンボール超』では絵コンテのみ担当してるのでお会いすることなかったのですが。

弔辞で長く一緒の番組担当されてた野沢雅子さん、中尾隆聖さんがその気持を話されてましたが、ほんと自分より若い人に先に行かれるのは応えるものがあります。

今までありがとうございました。
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