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「錆びた館」 http://kakudou.moto-chika.com の日替わり日記部分のみの分館
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2019/02/01 (Fri)

新宿武蔵野館で開催中、【2019中華最強映画まつり】
三本の映画どれも続編や三作目。

確かに前作は続く!というところで終わってたけど、まさかほんとに続編来るとは思わなかったアイスマンの続編。前作に引き続き主演は甄子丹ドニー・イェン、任達華サイモン・ヤムら共演者も一緒。さらに、倉田保昭が日本の武将役で。甄子丹とがちがちの剣戟を見せてくれますよ。
が、話がねえ。これでいいのか、という。や、話としてはありかなあとは思うものの。原作がそうだから、とかなのかなあ。
ちなみにタイトルに嘘はないのでした。そこもびっくり。

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2019/01/31 (Thu)
なにを血迷ってかと言うかテレビの方は逃さず見てるもので、つい。

タイトルはネッシー、ノストラダムス、ユリ・ゲラーですが主演(?)はオカルト三銃士。
更に通常のTV版と同じく司会に逸見太郎、コメンテーター?に大槻ケンヂ、辛酸なめ子というおなじみの布陣。冒頭からユリ・ゲラーのインタビューでテレビの会場で大槻ケンヂがそれが一番のクライマックスでは!?映画館の皆さん、まだ出て行かないで!というあたりはもうなにを見てるのかわからなくなるところ。

以下特に記す内容はないのですが、料金なんの割引も効かず変だと思ったら、スプーンもらえました。もちろん、ユリ・ゲラーが観客に語りかけてきましたよ!
2019/01/30 (Wed)

言わずとしれた1977年ダリオ・アルジェント監督作のリメイク。
元作は好きではあるけれどそれほど熱心なファンというわけではありません。
(ジェシカ・ハーパーは好きだけどな!かつて怪奇作家から時代小説家になった倉阪鬼一郎さんと、亡きゲーム作家柴尾英令の三人でジェシカ・ハーパー・アソシエイションJHAというネット内地下活動をやってたほどだけどな!)
77年といえば「怪しい館」「美少女たちが次々に死ぬ」「ポップな映像」と共通点が多い
大林宣彦『HOUSE』が同年作。そうとわかり、これはそのころ一体何があったのだろうと昨年末広島こわい映画祭の楽屋で川松監督たちと首をひねったものの、特に結論は出ず。

ああ、ええ、今作ですね。見ました。
一言でいえばあまり好みではなかった、かな。
冒頭から中盤があまりわくわくしないのですね。趣味があわないのかなあ。似た感触の映画としてルシール・アザリロビック監督『エボリューション』2015思い出したのだけど、そんなに間違ってないかも?ただあちらほど好みの映像美というわけでもない。1977年のベルリンが舞台だから寒々しいし、陽の光も弱いし。

中盤からちょっといいインサート映像があります。短くてショッキング。その瞬間目を引くけどそれだけ。
クライマックスのダンスの発表会から終わり間近まではなかなか。
でもラストが蛇足な感じもするしなー。
ティルダ・スウィントンの二役も特に意味はわからず。あるんだろうけど、そうでなくても成立するんじゃない?
2019/01/11 (Fri)
やっとみてきました、ライダー映画。

ビルドとジオウの設定を把握しきってないかもー、
してても結構難しいのではないかというか、
歴史改変とか世界線とかメタフィクションとか要素ごちゃまぜなんですが、
要はクウガ以降の平成ライダーがいかに共演しうるかというお膳立てなので
理解できてなくてもひょっとしたら筋が通ってなくても気にしないです。
肝心なのは歴代ライダーがいかに登場し、活躍するか。
そこは大変素晴らしく出来てるのです。
正直泣きそうになりましたよ。
全員じゃないけど、ちゃんとオリジナルキャストの声ででてくるし。
ジオウの設定と言うか特徴がそうなんだけど、
ここでも時間を行き来するのがメインプロットに関わるので、
一番いいところで登場するのが同じく能力の電王というのも納得の行くところ、
おいしすぎるくらい。
音楽も川井憲次さん佐橋俊彦さんでなんと贅沢な。
それぞれのライダーに思い入れのある方々にも喜んでもらってるんじゃないでしょうか。
過去作品にちゃんとリスペクトあるのはみてて気持ちいいですね。
ゲストの声の出演、滝藤賢一さんがものすげーはまり役なのもいい。
『記憶されている限り物語は生き続ける』という命題についてはまた別に考えてみたいと思います。
2018/12/12 (Wed)

映画としては前半から中盤にかけて、第一部の主人公っぽいイクメンパパのくだりがちょっと長い。監督お得意のスタイリッシュ映像で数々の場面を渡っていくのですが、それぞれの場面でちょっと飽きが来たところでコワいものが差し込まれる、という塩梅はわかるにしても、そこまでもってないんじゃないかな。と思うのはこちらがホラーを期待してるからなんでしょうか。とばかりは思えない。
先に見た人たちから「面白かった」「怖かった」「が、ホラー映画じゃない」という声をいくつも目にしました。
言うまでもなく原作『ぼぎわんが来る』はれっきとしたホラー小説。映画でも細かい差はあるものの大筋は原作に沿ってます。なのになぜホラー映画ではないという感想が出てくるのか。
ホラー的な場面はちゃんとあります。演出力不足で怖くならない、ということはこの監督にはありえない。好みはあるでしょうが間違いなく高いレベルの映像を作り出す人なのです。
人物ドラマが弱いということもない。出演者もどの役にもピッタリはまった人たち。ポスターに写る主演の五人だけでなく、柴田理恵の霊能者や伊集院光のスーパー店長などまで。
ではなぜこの映画がホラー映画ではないと思われてしまうのでしょうか。
一つには、ホラー的な事象を扱いながら、「怖がらせるための演出」をほぼしていないから、ではないかと思います。いくつかの事象はそれこそホラー映画のようにドッキリするタイミングで起きるのですが、そこにあるのはビジュアルとしてのショックで、それによって見る人を怖がらせるためではないように思われるのです。
ほかの場面にある不安や緊張感も「ホラー映画的な」空気とは違うように見えます。
細々と考察していくと長くなりそうなので、適当に切り上げますが、ここで問題に思うのは「ホラー映画的な作り方をしていない」から「ホラー映画ではない」のか、ということ。
小説におけるホラーは、近年怪談との比較もあって「非日常的な事象が起き、読む人を怖がらせるために書かれたもの」というのが一般的な定義となってきているようです。(怪談は必ずしも人を怖がらせるためではない、人を怖がらせるために書かれたものでも非日常的な要素がなければホラーと言うよりサスペンス、ということからの対比)
では。ホラー映画とは何なのか。それは必ずしも人を怖がらせるためでなくてもよいのではないでしょうか。

さっきたまたまCSで『高慢と偏見とゾンビ』放映されてて、あれなどはあきらかにホラーでしかなしえない世界を描いているにもかかわらず、怖がらせるために作られた映画ではないように感じます。しかし『ホラー映画』であることは間違いないのではないでしょうか。
特に論旨を一貫させることもなく唐突に自分のことになりますが、じゃあ自分はなにを作りたいかと言うと、『怖い』『ホラーまたは怪奇映画』ではないか、とは思います。
もう一つ蛇足的に付け加えさせてもらうと、『来る』鑑賞中、これに一番近い映画は中川信夫『地獄』ではないかと思ったのでした。どこが、というのを説明するとまた長くなるので省きますが、あの映画の直系の子孫はなかなか見ない気がする、というのがこの映画で解消されたのでした。
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